日本バイオロジカルズ株式会社
 
第3回NBI対談

NBI対談 第3回
  with 松原 謙一 Kenichi Matsubara

DNA チップ研究所 代表取締役社長
財団法人国際高等研究所 副所長
奈良先端科学技術大学院大学 教授
バイオサイエンス研究科
大阪大学細胞生体工学センター・教授

松原謙一教授は、これまでに、厚生大臣表彰「B型肝炎ワクチン開発」(1986.5)、高松宮妃癌研究基金学術賞(1987.2)、科学技術庁長官賞(1990.4)などを受賞。
 日本分子生物学会会長を歴任された、分子生物学の第1人者であり、また、最近注目を集めているDNAチップ研究の第1人者でもある。


松原 謙一氏プロフィール

1934年2月 東京生まれ
1956年3月 東京大学理学部卒業
1961年3月 東京大学大学院化学系研究科博士課程終了
     理学博士の学位取得
1961年4月 金沢大学医学部助手
1968年 九州大学医学部助教授 大阪大学細胞生体工学センター
1975年 大阪大学医学部教授
1982年 同大学細胞生体工学センター教授
1986年 厚生大臣表彰
1987年 高松宮妃癌研究基金学術賞
1990年 科学技術庁長官賞/日本分子生物学会評議員
     日本生化学学会評議員等を歴任
1994年 大阪大学細胞生体工学センター長・教授、
     ヒトゲノム解析計画プロジェクトの国際的協力機関である
     HUGO(ヒューゴー)副会長。ヒトゲノム研究の世界的リーダ。


所:
本日はお忙しいところ、日本バイオロジカルズ株式会社(NBI)の鶏鳴新聞連続対談シリーズにご登場いただきまして、誠にありがとうございます。この対談シリーズの目的は、日本で活躍する各界の方々とお会いし、その活動・現状などをお聴きすることにより、日本の養鶏産業の未来を模索する糧が得られればという期待があります。本日は、国際ヒトゲノムプロジェクトの先駆者であり日本のリーダーでもあられました松原謙一先生にお越しいただきました。先生、本日は本当にお忙しい中、貴重なお時間をいただき有難うございます。
先ずはじめにお聴きしたいのですが、松原先生は国際ヒトゲノムプロジェクトの日本の初代代表としてご活躍されましたが、このプロジェクトを、判り易くご説明いただけますでしょうか?

松原:
先ず、1980年代後半に、アメリカでゲノム配列決定の議論が始まりました。ヒトゲノム計画そのものがアメリカの発案でして、その起案をしたのがアメリカ合衆国エネルギー省と国立衛生研究所(NIH)でした。時コールドスプリング・ハーバー研究所の所長だったジェームス・ワトソン博士(DNAの構造解明でノーベル賞を受賞)は、ヒトゲノム解読に関する費用を国家プロジェクトとして支援するよう、直接国会議員と交渉してまわりました。その結果アメリカ政府は、向こう10年間毎年100億円余の予算をつけることになったのです。

所:
アメリカ政府のこうした対応は、やはり迅速ですね。そこで、日本を含め他の国々の対応はいかがなものだったのですか?

松原:
当初このプロジェクトには、アメリカ・イギリス・フランス・ドイツ・イタリア・カナダ・ロシアそして日本が参加し、ヒトゲノム解読プロジェクトの国際的協力機関であるHUGO(ヒューゴ:Human Genome Organization)が設けられました。日本の代表となった私は、文部省や科学技術庁(現:文部科学省)と折衝し、漸く1989年だったと思いますが、文部省から2億円の予算を付けてもらうことができました。
日本以外ですが、フランスでは、年末に24時間キャンペーンをおこなって民間から資金を集めました。政府の支援は何もなく、民間の手で進められたのです。イギリスでは、ウェルカム財団が100億円近い資金を提供して、ジョン・サルストンという研究者に自由に研究を行わせました。ドイツは、ゼロです。ドイツはホロコーストの後遺症でしょうか、Human Geneの研究に対してもアレルギーがあったようです。後になって少しは貢献もしましたが・・・。その他、イタリアは完璧になにもできませんでした。それから、中国は最後になって1%分だけ入ってきました。
このように、国際ヒトゲノムプロジェクトは各国がそれぞれの方法で資金調達をしてそれぞれできるところまで研究を進める、そして研究を進めながら、各国が役割を見なおそうという体制でスタートしました。

所:
そうですか。今はゲノムに対する先進国の関心は極めて高い訳ですが、僅か10年前はパイオニア的な研究者の熱意によるところが大きかったということですね。

松原:
そうですね。一方でクレイグ・ベンター氏は、NIHを辞職した後、研究資金を提供してくれるスポンサーを捜し出し、民間のゲノム研究所を設立しました。1995年頃にはインフルエンザを、その後には、ショウジョウバエと次々に解読を進めていったのです。1998年にはヒトゲノム・ベンチャー企業のセレラ・ジェノミクス社を設立し、ご存知のとおり、ヒトゲノムの全解読を行うと宣言しました。この宣言に、国際ヒトゲノムプロジェクトチームがびっくりしたのは云うまでもありません。ドタバタでしたが、国際チームも速度を早め、なんとかセレーラジェノミクス社と同時に完了しました。以後、ヒトゲノムの世界が、これまでの国際協調から国際競争に変貌しました。

所:
ヒトゲノムの解読では、日本が果たした役割は7%ほどあったと聞いていますが、少ない予算での作業はさぞかし大変だったであろうと思います。
さて、松原先生は、将来の日本を考え、情報生物学分野に焦点を絞って超エリートの研究者の育成を行っていると伺いましたが、この点に関し、ご説明いただけますか。

松原:
私は先ほどもお話したようなゲノム解析プロジェクトに関係して、今後情報生物学分野の発展が極めて重要であると考えており、その分野で日本から最先端の人材がどんどん出て行くべきであると考えております。しかし現実のところ、この10年間、そのような人材を育て上げてゆく教育のしくみができていません。そこで、情報生物学適塾(緒方洪庵が創設した適塾にならい)という私的な教育の場を設け、この春3月~4月にかけて18日間、11名の若手エリート研究者を国際高等研究所(奈良)に集め、集中合宿を行いました。日本の情報生物学の18名の先駆的な研究者を先生とし、それもボランティアで駆けつけていただき、一生懸命情熱を持って指導していただきました。みんな必死でした。

所:
最先端分野の超エリートを育てる機会は非常に大切なことだと思います。世界をリードする情報生物学分野を日本から発信する上で、この11名の若きエリート研究者に託された期待は、大きなものがあると思います。是非この塾を続けていただきたいと思います。
さて、最後になりましたが、先生は鶏肉はお好きですか?タマゴはいかがですか。

松原:
昔は、庭でニワトリを飼っていまして、どの家庭でもニワトリに対する愛着がありました。私も同様です。今はそういうことがなくなり少し残念です。鶏肉は私の料理のレパートリーにいつもはいっています。私は魚の次に鶏を食べます。健康であり、実にあっさりしていて、炒め物をつくってよく食べております。健康ですから。

所:
そうですか。ニワトリをなつかしいヘルシーフードと誉めていただきうれしいです。本日は本当にお忙しい中どうも有り難うございます。我々も日本の養鶏産業の発展に貢献できればと考えておりますが、松原先生がリーダーとしての役割を果たされている最先端の分野に対しても、少しでもお役に立てることがありましたら、何なりとお申し付け下さい。微力ながら協力したいと切に願っています。本日はどうも有り難うございます。